2016/3/13 蘇州旅行

久しぶりに個人的な…(いっつ個人的ですが…)あんまり舞台と関係ないところでブログ書いちゃおうと思います。

今回、留学中の中国で蘇州旅行に行ってきました。その時のガイドさんのお話が想像以上にお勉強になったので…(他のプログラムは全部中国語で理解が至らなかった…)忘れないうちにまとめることにしましたw

たぶん日本のみなさんは知らないことばっかりだと思うので、楽しんでいただけたらなと思います。
蘇州は観光地化していることもあって日本語が通じることもぶっちゃけ上海より多かった気がします。
実際今回もガイドさんががっつり日本語しゃべってくれたのでレポできたわけですが…www

今回行ったのは、虎丘、寒山寺、留園にいきました。
それでは順番にレポりたいとおもいます~。

まずは虎丘に向かったところ、まず、入り口の川のところで蘇州の運河の歴史について教えてくださいました。

今から1300年ほど前、隋の時代に80年くらいかけて作り、長さは1794キロで、世界で一番長い人工的な運河だそうです。そしてその一部が蘇州市内を流れています。運河では大きい船でものを運んだりして利用していました。市内に注ぐ小さな川でも船を使い物資を運んでいたそうです。北京から出発して揚州へと運んだりもしていたりしていたそう。揚州は美人の産地であり、川を掘った一番最初の理由は北京の王が、揚州へと美人探しに行くためなんだそうです。その後、中国の経済に大きな影響をもたらす結果となりました。
福建省などの南方ではライチが有名で、ライチは北の方では作れないため、まず馬車で蘇州まで運び、そこから船で運んだんだそうです。ここから「南船北馬」という言葉が生まれたとか。南は船、北は馬車が主な運搬手段だったそうです。そしてその影響で、体格の違いも生まれ、北の人は割と背が高く、南の人は割と小柄なんだそうです。
今もそのような特徴はありますが、最近では食生活も近寄ってきているため、体格の似てきているそうですが。

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虎丘のシンボルとも言えるこの塔は、中心から、2.34メートル傾いているそうで、角度としては4度くらい傾いています。七階建てになっています。中国で言えば塔では九階建てが一番なんだそうです。塔は奇数階建て建てられるのが特徴で、一階建てはなく、3、5、7、9があります。日本では五重の塔が有名ですね。この塔はイタリアのピサの斜塔に次いで世界二位なんだそう。ただ、こちらのほうが歴史は長いそうですよ。斜めになった原因は200年前の地盤沈下で、最初はまっすぐに建てられたものなんだそうです。いろいろセメントなどで対策をとり、現在は何とか傾きが止まっている状態なんだそうです。虎丘だけでなく、蘇州のシンボルとしても有名なんだそう。

虎丘とは、呉の国王のお墓で、お墓の場所は未だに謎のままなんだそうです。遺体とともに納められる金銀財宝を取る、盗掘対策で隠されていて、建設に関わった1000人の労働者も、宴で毒を飲まされ殺されてしまったという伝説もあるんだそうです。そして墓の周りにも堀が掘られたりもしていて、盗掘にたいする防御意識がとても高いことがかいま見られました。風水からもいいらしいとか。
そして虎丘という名前にも通じる伝説で、できあがった墓の一番高いところに、三日ほど白い虎がたたずんでいたという伝説も残っており、虎までも守ってくれる、偉大な功績を残した人物の墓、として伝えられてきたんだそうです。
そして、この虎丘にある門などの建築物も虎をイメージして作っており、入り口は虎の顔、上っていく通路は虎の背中、塔は尻尾がイメージできるように作られています。そして、ユネスコの世界遺産にも認定されている場所なんだそうです。

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これは呉の国の年代について説明された掲示です。1500年前で、2500年から今までいろいろな王朝がたった中、約950年前の宋の時代の人が作った雲岩寺が始まりで、健流の年号のときだそうです。
そしてあの塔は雲岩寺塔というそうです。

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この泉の名前は憨憨泉(かんかんせん)。話によれば、今から900年前の宋の時代に憨憨という僧がいたんだそうです。その僧は目が悪かったらしく、今、白内障と呼ばれる病気でした。ある時、水揚げするためにここにくると、疲れて寝てしまったんだそうです。その時、夢を見て、神に今寝ている場所は掘れば泉が沸くと教えられ、ただ、すぐには泉はわかないが、根気よく掘れば泉は必ず沸き、そしてその泉の水で目を治すことができると言われたそうです。夢から覚めた彼は、49日掘り続け、ようやく泉が沸き、その水を使って三日後に目の病気が治ったという伝説があるんだそうです。
この伝説が伝えたいことは、

人間は必ず固い決心の元に、物事に取り組みなさい、中途半端ではいけません。

という意味で、それを人々に伝えるためにこうして記念として残されているものなんだそうです。

ここでちょっと余談。
道を進んでいたところ、若い人が段差につまづき転んでしまったんです。すると、それをみたガイドさんが、中国のちょっとした社会問題について教えてくださいました。
10年前くらいから、お年寄りが転んでしまったときに、助けると高額なお金の請求をされてしまうといった事件が数件あり、そういったお年寄りに手を貸すことに疑いを持ってしまう習慣がうまれてしまったそうです。ふつうならば何も考えずに助けるのが日本などでは普通なのかもしれませんが、中国ではそれが普通にできなくなったしまったということにガイドさん自身も残念そうに話してくださいました。
中国にも日本にもそれぞれいいところはありますが、中国で言えば、学校でのいじめといった問題はないんだそうです。これはいいところ。しかし以上のような残念な習慣もあります。これらを海外に持って行くようなことはしたくないねということもおっしゃっていました。

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2500年前の春秋時代の呉の王様が戦いのため、命令して剣を作らせたんだそうです。その作らせた夫婦がとても腕が良く、そのできあがった剣で石を切ろうとしたところ、石が開いたという伝説の石がこちらなんだそう。
ただ本当はその伝説は冗談から始まったものらしく、石は勝手に開いたものなんだそう…。

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この石は枕石。これは話によれば孫悟空が空からやってきたとき、降りてきた場所で、孫悟空はそらから蘇州を見たとき、住みよい場所だと絶賛したんだそうです。ここからも、「上には極楽あり、下には蘇杭ある」という言葉もあるんだそうです。この蘇杭というのが蘇州と杭州のことで、杭州は蘇州から200キロ離れています。この二カ所は昔も栄えた町で、空気もよく水もおいしく、市民もよく農耕作をしていたんだそう、だからそれを空からみた孫悟空は誉めたわけですね、そしてここに降り立ったわけです。
現在、中国は1978年に始まった一人っ子政策をやめて、今年から二人目の子供も作ることができるようになりました。この一人っ子政策、破ると罰金だけでなく、地位のある人はその地位までも降格されられてしまうという厳しい処置がされていました。そんなことが30年ほど続けられていたため、農村地帯が女子を生むことを拒むなどの現象が起きたため、中国は少子化だけでなく、男女のバランスが悪くなって行ってしまったんだそうです。男が全体的に3000万くらい多いとか。そして、都心部では女の男への要求が高いために、違う意味で除女(30歳以上でも結婚していない女)も増えてしまっているんだそう。マイホーム、マイカーは基本、なんだそうですw中国の男性は大変ですね←
中国では上海の人は人気があるんだそうです。女性は頭が良くて美人で家事もできて、強い。そして男性は優しい。そんなこんなで一番人気があるとかwww
ガイドさんに君たちも上海でボーイフレンドを作るといいよ、頑張れといわれましたが、私にはもう大切な人がいるので、心の中で速攻いらないと答えておりました←

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ここで有名な場所の一つ、剣池がこちら。この名の由来の伝説は呉の王が副葬品として金銀財宝よりも、3000本の刀を納めさせたという話なんだそうですが、その刀もまだ見つかっていないらしく、推測でこの剣池のあたりだと言われているそうです。

そしてここにはさらに二つの伝説があるそうです。千人座と呼ばれる伝説です。
さきほどすこしのべた労働者を1000人殺したという伝説。この殺した場所というのがこのあたりなんだそう。毒を飲ませても死にきっていない労働者の首をこの場で切り落とし、その血がこの地に染み込んで、雨が降るとその血が赤くにじみ出たという伝説。
そして二つ目が、1000年ほど前に、生公という有名な僧がこの場で週に一回ほど説教をしたという伝説です。そしてこの説教に1000人もの人々が集まり、聞き入っていたということからの呼び名なんだそうです。この僧のお話というのは、「貧乏人も努力をすれば富裕層になることができる、そして富裕層になってからも努力を怠ってはならない」といった話だったそうです。
そして石までもうなずいた話、という伝説からその石も残されています。1000年前から変わらずあるそうです。

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そしてこちらが先ほどすこし説明した雲岩寺。毛沢東の文化大革命で古いものが燃やされてしまったため、現在あるものはそれほど古いものではないそうです…。この文化大革命、共産党の考えに合わないとされた古いものはすべて壊されてしまったんだそうです…日本の廃仏毀釈もそうですが…もったいないですね…。

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さて、虎丘を下ります。下りの階段は108段になっているそうです。これは人間の煩悩が108あるからわざわざこの数にしているんだそうです。自分の足で降りたとき、一つ一つ数えることでその煩悩がなくなっていくんだそうです。なので数えて108よりも少なかった場合、まだその人には少なかった分の煩悩が残されているんだそうですよ。そしてぴったり108だった人は、その人生に煩悩がないということになり、これからエリートになれる可能性が高いんだそうですよwwwえ?私はどうだったかって…?秘密です←

さて、ようやく虎丘が終わりました…ガイドさん、本当に色んなことを話してくださって盛りだくさんです…
ここで余談。
移動のバスの中で、中国での上海と蘇州での方言の違いについてお話ししてくださいました。
中国での基本的な挨拶。「こんにちは」北京での普通語ではニーハオといいますが、上海語になるとノンハオとなるそうです。これが蘇州語になると、ネーヘンみたいな発音になります。ただ上海語と蘇州語は雰囲気がにているので、上海の人はまだ蘇州語は理解できるそう、しかし北京の人はもはや蘇州の人が何をいっているのかわからないんだそうです。上海語でさえわからないのに、蘇州語はもっとわからないんだそうです。日本と一緒で方言になると全然わからないんですね~。

では次は寒山寺行きますよ!!

この寒山寺の寒山の名前の由来は、寒山という寺の一番偉い僧の名前からきているそうです。
このお寺は1500年以上の歴史があるんだそうです。先ほどの虎丘の雲岩寺よりも歴史があるんですね。
そして、寒山も有名なのですが、この寺には拾得(じとく)という名も切っても切り離せません。彼はもともと路上にいる乞食だったそうで、寒山はこの寺の住職で、寒山が仏教の教えに従い、拾得を救い弟子にし、こうして拾い得たということでこの名をつけてやったんだそうです。そして拾得は日々努力をして、最終的には寒山を越える僧となったという話がこの寺における重要なお話なんだそうです。この二人の師弟愛は結婚した夫婦が仲良くいられるというありがたいお話があるということだそうです。

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こちらは1500年前の太鼓橋です。楓橋という呼び名で、楓橋画伯はこの橋からきているんだそうです。
ここも寒山寺の有名なスポットだそうですよ。

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こちらの掲示には歴史が書かれています。
今から約1500年前の南朝時代から1300年前の唐の時代にに寒山寺に改名されました。またその中で明の時代に修復されたということがかかれています。
12月31日の23.42分から108回の鐘付きを行うとのことで、寄付は高い人は10万元もの額をするとのことです。すくなくとも500元以上の寄付は行うのが通例らしいです。

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これは日本のお寺でも普通にありますね。福をもたらしてくれる煙とのこと。

ここで余談ですが、私たちが訪れた日はすごくお寺自体が混雑していました。ガイドさんによれば、お釈迦様か観音様のめでたい日だからかもしれないとのことでした。普段は日曜日とかでもそれほど混雑はしないそうです。そういう意味では混雑はちょっと大変ですが、私たちは運に恵まれているとガイドさんはおっしゃっていました。

お釈迦様は大雄宝殿に納められており、この大雄はお釈迦様の別名だそうです。お賽銭箱は三井建設が寄付したものだそうで、日本もいろいろな面でこのお寺との関係性が濃いことが、ここからもかいまみることができるそうです。そしてその後側に回ると、寒山と拾得の絵が飾られています。

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この絵も左側が拾得、右側が寒山なんだそうです。この二人は最終的にはとても仲のよい関係性になったということで、今でも夫婦の仲など仲良しのシンボルとなっています。

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そのため、彼ら二人の像もこのように飾られています。
こちらでは左が寒山、右が拾得だそうです。

そしてこの寺でのシンボルの鐘。こちら5元払うことで叩くことができるのですが、一回目が福、二回目は禄、三回目は寿と、幸福、財産、長寿をもたらしてくれるんだそうです。

そしてこのお寺で語らずに入られないのがこちら。

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石碑です、一枚目の写真は文化大革命で破壊されほぼ何が表記されているかわからないのですが、こちらが一番古い石碑なんだそうです。ここには有名な詩が刻まれています
「月落ち烏鳴いて下天に満つ、●●●す、●●寒山寺、夜半の●声客声に●」という詩で、日本の観光客もこれを目当てにくることが多いんだそうです。
この詩の意味なのですが、ガイドさんが説明してくれたものを軽く載せておきます。たぶん記憶違いなどでか絶対間違っていますので、参考程度に。

月も落ちてきて、烏も鳴いている、周りには人の姿もあまりない、冬がそろそろやってくる。こうそうきょと楓橋の間に船が入ってきた、その船の明かりが見え、漁夫たちが日々の生活に思いを馳せている、蘇州の郊外、今私がいるのは寒山寺だ。寂しい雰囲気が響く鐘の音に共鳴しているようだ。

以上で寒山寺は終了です!!長かった…最後は留園行きます!!

このスタイルの庭園は、主人の別荘でもあるため、その自分の力の誇示のためにもお金を出し、広大な庭園を造ったんだそうです。この留の留は客人を庭の景色に引きつけ、留めるという意味をこめ、名字は劉という人のものでしたが、留という漢字に変えたのだそうです。

そしてこの劉氏が石が好きで、この留園にはたくさんの大きな石が置かれています。

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さきほど別荘とは称しましたが、人が住む場所としては作られていないんだそうです。

1961年に重点文化財として指定されました。1997年にユネスコの世界文化遺産にも指定されています。

ここで余談ですが、中国では70歳以上の定年退職した人にはただで入場できる福祉があるんだそうです。地下鉄もそうだとか。
そういう老人カードがあるらしく…ただ、一般的に中国での観光地の入場料はそれもあって割高なんだそうです。

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このように窓の形をわざとデザインのちがうものでつくり、いろいろな景色の庭を楽しめるようにしてあるんだそうです。

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ここはまず最初に客人をもてなすところだそうです。

作る前は立派な農村だったらしく、池をほって、その土を丘のように積みあげたんだそうです。石などは蘇州から50キロ離れたむしゃくの大湖から運んできたものなんだそうです。やはり変わった形で大きなものは価値の高いものにるんだそうです。地下鉄もそうだとか。
そういう老人カードがあるらしく…ただ、一般的に中国での観光地の入場料はそれもあって割高なんだそうです。

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これはいわゆる引きこもり部屋だそうで…www誰でも昔から一人になりたいと思うことはあったんですねwww

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これが有名な四大奇石だそうです。2200メートルくらいの大きさのある大湖から運んだきたものですが、これの運搬方法がすごい。丸くて細長い棒の形に、泥などを隙間に埋め、ごろごろと転がせるようにし、冬の寒い時期に前の晩に道に水をまき、凍らせ、そこを滑らせ運んだそうだそうです。こんな大きなものを…想像するだけでなんだかすごいですね…一日に2キロ進むのがせいぜいだったのではないかと言われています。そしてこの石、風化しないんだそうです。
奇石の特徴は4つあり、細い、透き通っている、しわがある、大きい、というのが評価の基準なんだそうです。

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これは夫婦イスというもので、おしどり夫婦を象徴する場所なんだそうです。

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このお庭は石の展示会のようなものをイメージして作った小さなお庭だそうです。オーナーの劉さんが本当に石が好きだったのだというのがわかります。

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ここの石はもとからこんな大きさだったわけではないそうです。これは幾つかの石を接着してこのようにしたわけで…この接着剤はイノシシの血と、石灰ともち米の粉でつくったもので、それが未だにはがれず壊れずあるわけなんですね。中国は日本と違って、地震がないというのも崩れずにすんでいるというのがあるかもしれないですね。

と、留園のレポはこんな感じです。
せっかく留学に来たということでブログにまとめてみました。
長々といろいろ書きましたが、最後の方は自分でも飽きてたり…www
最後まで読んでいただきありがとうございました。