【観劇レポ5】劇団四季「ノートルダムの鐘」神よ、弱きものを救いたまえ編

感想レポ第五弾です!タイトルの都合上、この記事は短くなりそうですが、一つの記事にすることにしました!
次のシーンの「世界の頂上で」と一緒にすることも考えたのですが、タイトルが長くなりすぎるな…と思い、別に分けることにしました(笑)
珍しく長文じゃなくなると思いますので、お付き合いくださいませ(笑)

さて、トプシーのシーンでいろいろとひどい目に遭い、大聖堂内へと帰ってしまったカジモド。ですが、そんな彼を追って、聖堂に入ってきたのが、あのエスメラルダ。エスメラルダは中に入って、聖堂の美しさに心奪われるわけです。
そんな彼女のあとに聖堂に入ってくるのはクロード。そして彼の手には投げ捨てていたはずの、あのエスメラルダの赤いスカーフ…実は前回の記事で書き忘れたのですが、トプシータ―ヴィーのあと、カジモドに聖域に戻れと言い放ったクロードなのですが、自分で床に投げたエスメラルダのスカーフを拾ってしまうんですよね。ここでの芝居の方向性もクロードによって全く違ってくるので是非注目してみてください。実際、彼自身はこのスカーフを持って聖堂に現れるのですが、エスメラルダの姿を認めると、慌てて自分の法衣の下に隠し、エスメラルダに話しかけるのです。ここで二人はとても興味深い会話を繰り広げます。

「ジプシーの分際でこの聖域に足を踏み入れるとはな。」

「いけないかしら?」

「お前たちはここに入ることを禁じられている」

まずこのクロードのセリフです。プロローグ編で、ジェアンが犯してしまった罪について言及しましたが、このセリフからもジプシーが大聖堂の中に入ることは禁じられていたということがわかります。ジェアンがフロリカを連れ込んだことは、この掟を破ることになるのです。やはりあそこでの尊い教えというのはこの点と考えるのがここからも自然かと思われます。

「どうしてそんなに憎むの?私達が何をしたっていうの?」

「お前は何もわかっていない。ここで何をしている?」

「あの子を探しに来たの。彼が舞台に上がったのは私のせいだから。」

「心配はいらない。私がついている。神は怪物にも愛をお与えになる。」

「彼も私達と同じ人間よ。」

「我々の中にも劣っている人間はいる。品性という意味でな。」

「それって私のこと?」

「お前は恥も慎みもなく、人前で踊る。」

「私は楽しいから踊るの、見てる人も楽しんでる。だからお金をくれるのよ。」

「娼婦に金を払うのと同じだ。黒魔術を使うことも否定するのか?」

「そんな力があったら、自分や仲間のために使ってるわよ。」

このエスメラルダの返答に、クロードはすぐに返すことができず、顔を背け、このようにこぼします。

「お前は頭がいいな、腰をひねるように真実を捻ってみせる」

そしてこの次が大事です。私はいつもここでクロードの表情を見ていることが多いのですが、この瞬間が、クロードにとって「タンバリンのリズム」におけるエスメラルダの妖艶なダンス姿よりも、彼の心を捉えて離さなくなる大きなきっかけの一つだと考えています。

「閣下、あなたには慈悲の心があるはず。あの子を助けたのなら、他の人にも同じように優しくすることができるはずでしょ?あなたがしてほしいと思うことを、あなたも人にしてあげたらどうかしら?」

このエスメラルダの言葉に、クロードは彼女の魅力を再認識するのです。それが実際、態度にもよく表れていて、ここでクロードのエスメラルダに対するアプローチは全く変わってきます。

「主イエスキリストもまさに同じようなことをおっしゃった…主が、あそこから見守ってくださっているのがわかるか?…正午のミサが始まる…いかねばならん。お前の仲間は道に迷っているが、お前にはまだ救える道があるかもしれん…またここに来るがいい、そして、私と…話の続きをしよう。」

クロードの態度は一転して、聖域に踏み込んだことを非難するようなところから始まっていたというのに、むしろまた来なさいと促す様子に変わるのです。ここでクロードの軸、孤独を恐れる心につなげてみると、聖域という彼の世界の中にエスメラルダが入り込む可能性が生まれ、彼女も、ジェアンやカジモドと同じように、彼が聖域の中で保護し、守る、愛すべき存在になりえるとここで彼は確信したのです。彼女から出たイエスキリストの言葉は、まさにそれを決定づけるきっかけとなりえました。

さて、クロードとの問答を終えた後は、エスメラルダは聖堂内に取り残されるわけですが、ここであの映画でも美しく感動を誘うナンバー「神よ弱きものを救いたまえ」が歌われるわけです。ここでの見どころは、途中でエスメラルダの姿を認め、歌う彼女の姿を見守る、カジモドとフィーバスの表情や、また途中でコーラスを奏でる、アンサンブルさんの表情です。最初、ローブを羽織ったアンサンブルさんたちは、燭台をイメージしているのか、客席側に背中を向けたままろうそくを手に持ち、微動だにしないのですが、このナンバーの時に数名が振り向き、神への祈りを歌い上げます。私がここで思うのは、「愛情」という歌詞の部分です。ここ、他の「財産」「名声」「栄光」は数名がうたうものなのですが、「愛情」の部分は全員で繰り返し、「祝福」という言葉に繋がっていきます。つまり、この曲を通して感じ取れるのが、一番人々が求めているのが「愛情」なのでは?ということです。この「ノートルダムの鐘」のテーマの一つとして、「愛」はいろいろな方向からフィーチャーされています。それこそ、カジモドからエスメラルダへの愛、フィーバスからエスメラルダへの愛、クロードからエスメラルダへの愛はもちろんんこと、ジェアンとフロリカ、そして、クロードとジェアンの兄弟愛…この作品には多くの「愛」の形が存在しています。そして、クロード自身も、そしてカジモドも…エスメラルダも…この聖域に祈りをさ上げる人々は「愛情」を求めているという点で共通点があるのではと思いました。実際、「奇跡求めて」のナンバー内で、エスメラルダは「ようやく気が付いたわ」とフィーバスの愛を受け止めるのです。自分には愛が必要だったと、エスメラルダはあそこで自覚しているのです。そういう意味でもこの考え方は通じる部分があるのではないかな?と思います。

そして、このナンバーが終わると、エスメラルダの様子を見ていたフィーバスが動きます。フィーバスはエスメラルダに声をかけようと近づくのですが、そこに続こうとするのが、副官フレデリック。ここ、本当にマニアックなのですが、ろうそくを持って上手側の階段の場所まで行き、一度ろうそくを掲げて回転するのですが、その時に男性1枠さん、ローブのひもをさっとそのタイミングで解いているんですよ(笑)このシーンでフレデリックに瞬時に切り替えるためのちょっとした工夫ですね(笑)これがあるので一人だけ手の動きが違うんですよ(笑)マニアックすぎて何の得にもならない情報ですが、ここにのせておきます(笑)
そんなフレデリックを制止し、エスメラルダに話しかけにいく(ナンパしに行く?)フィーバス。ここの細かい役者ごとのレポートは、フィーバス編フレデリック編に詳しくまとめているので省略させていただきますね。このシーンは隊長副官同士の友情が演者によっては垣間見えるシーンなので私自身もすごく好きな一瞬だったりします。
そしてちょっとしたエスメラルダとのバトル。ここのシーンは個人的にはジャリの頭突きがあったりと、ユーモアがあって映画版も個人的にはすごくお勧めしたいのですが、舞台版ではフィーバスのPTSDをまた感じさせるやり取りがあり、注目ポイントでもあります。エスメラルダに、

「墓標のない墓に仲間を埋める仕事?」

と問われ、フィーバスは「息抜き」で一瞬陥ったようなトラウマを思い出す苦しい沈黙があります。きっと、「息抜き」はナンバーでフィーチャーされ、時が止まっているので実際の時間はわかりませんが、このシーンでフィーバスに怒っているようなことがあのシーンでも現実では起きているのでしょうね。
ここで一つ思うのは、エスメラルダが彼に対してこの投げかけを、彼が動揺するのを予想してわざと投げかけているという点で、エスメラルダは戦場の厳しさ、残酷さをよく知っているのだろうなということです。エスメラルダのソロの歌詞に注目してみると、「神よ弱きものを救いたまえ」では「飢えるもの」そして、何より「いつか」では「争いの炎が消えることを」とはっきり言っています。彼女は確実に放浪の日々の中で戦場にも足を踏み入れたことがあったと私は考えます。だからこそ、フィーバスとあそこまで通じ合うことができるのだと思います。「いつか」編で詳述するつもりですが、あそこでフィーバスもその点で感じ取り、彼女に寄り添っていくんですよね…。

なんだかまとまりのない文章ですが、今回は予告通り短めで…これで終わりたいと思います(笑)次回は「世界の頂上で」編です!
このシーンは出演者側でも、観劇者側でも一番好きだとおっしゃる人が多いシーンでもあり、この作品の中で幸せの絶頂ともいえるシーンでもあるでしょう。きっと明るい内容になることを期待して(笑)
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!次回の更新をお楽しみに♪